【読書録】熱狂、恐慌、崩壊 金融危機の歴史
キンドルバーガーの著作を引き継いだ第6版。金融危機は一般的な事象であること、発生する過程に類似性があることが繰り返し述べられています。
同じ恐慌の話題が何度も出てくるので理解するのが大変な面は少しあります。
第4版を読んだ時は、日本のお金に対する常識とのあまりの違いにカルチャーショックを受けたんですが、第6版だと1970年以降の金融危機が広範に載せられていて「いつか見た光景」という気がちょっとします。
ただ、「恐慌はこれからも起こる」事と「金融は一種の錬金術」である事を学ばせてくれます。名著であり、一読をお勧め出来る一冊です。
章ごとに印象に残った事をメモ。
第一章 金融危機 ー繰り返されるテーマ
金融危機は繰り返し起きる事象であること、恐慌の前には信用の供与とバブルが発生することが述 べられる。
第二章 典型的危機の解剖
信用の膨張から機器に至るモデルを提示する。
「過剰取引」が「急激な変動」を招き、「信用不安」に至る。
第三章 投機熱
景気拡大から熱狂に至る側面を描く。
第四章 火に油
貨幣的側面を分析する。貨幣の改鋳、貴金属の発見、金銀複本位制のもとでの交換比率の変更、株式上場や債権販売の与える影響、巨額の借り換えによる金利の低下、マネタリーベースの拡大など。
当局がどんな規制を設けたり、通貨発行量の上限を設けても、民間部門は規制の抜け道を見つけては通貨の代用になるものを発行して売りに出す。
第五章 決定的段階
どの段階で決定的局面を迎えるのか?当局が警告をしたら熱狂を抑えられるのか?(グリーンスパンが「根拠なき熱狂」と評したあとの市場の反応はどうだったのか?)
結局は、倒産の発生、不正事件や経済的に行き詰まった地域がニュースになった時点で崩壊が始まる。
第六章 陶酔感と紙の資産
バブルが膨張するに従って、奢侈的な消費がニュースになり、陶酔感が蔓延する事象を検証する。
日本が資産を買い漁ったり、ドバイやマレーシアが世界一のビルを競って建てたりした。その裏には「バブルなのではないか」という背景が見えてくる。
第七章 バーナード・マドフ
バーナード・マドフはナスダックの設立に参加した立派な経済人でありながら、実体のないファンドを売り出してネズミ講で荒稼ぎをした。
バブルの崩壊局面では、このような詐欺的な商法が行き詰まって、ニュースになる。
バーナード・マドフはそんなことをしなくても資産を稼ぐことができはずだ、という点では特異だが、バブルの崩壊局面では良く見られる事象だ。たとえばエンロンとかワールドコムとか、タイコとか。
第八章 国際的な伝染
バブルは国を超えて伝播することを見せる。
国内が景気が良くなると、外国に貸し付けていた資金を国内に戻すことによって、信用供与が止まって金融危機が発生することがある。
2017-8年のアメリカの利上げによって
第九章 バブルの伝染
1970年以降の信用バブルは互いに関連していることを示す
第十章 政策対応 ー傍観、勧告、銀行休業
国内の危機にはどう対応すればいいのか?リバタリアン(自由主義者)は、何もするべきでないと主張する。
休業、銀行休業、仮証券の発行、債務保証、政府債の発行、預金保険、復興金融公社(アメリカorイタリア)といった手が取られる。
第十一章 国内の最後の貸し手
経験を通じて、最後の貸し手という役割が重要だという認識が高まってきた。バジョットのロンバード街で重要性が認識されたが、その前から同様な主張や実質的な役割をした人はいる。
モラルハザードを招くという観点で最後の貸し手に反対する人は今でもいる。
アメリカは、政府が自由な個人を統制すべきではないという概念のもと、中央銀行を設立することに反対する勢力が強かった。そのため第一合衆国銀行、第二合衆国銀行、という議会に特許された銀行が政府の銀行として設立されたが、最後の貸し手なのかという位置づけは曖昧なままだった。そのため、財務省が市中銀行を支援していた。
最後の貸し手がどのタイミングでどの様に信用を供与すべきかはアート(芸術の領域)であり、完璧な法則は存在しない。答えになって田舎もしれないが、すべてを物語っている。
第十二章 国際的な最後の貸し手
IMFやBISは国際的な最後の貸し手になるには官僚的で意思決定が遅く、自己資本をもっていないので不充分である。
歴史の上でヨーロッパ各国間が不仲であったりした時代でも時刻に波及することを恐れで救済に乗り出したり、は中央銀行間の協定(バーゼル協定)であったり、メキシコ危機を救済したアメリカであったり、国際的な貸し手の役割を「演じた」主体はある。
世界的な中央銀行があればそうなれるのかもしれないが、通貨の発行自体が主権の象徴だとみなされることもあり、実現は難しいだろう。
第十三章 リーマン・ショック ー避けられた恐慌
リーマン・ショックは、それまでいくつかの金融期間を救済せざるを得なくなった財務長官が「Mr.救済」と言われることを嫌がったため、リーマンが買収交渉に失敗した時点で救済をしないと決めたことが引き金となった。その後債権の保険=CDSを供与していたAIDが破綻に瀕するに及んで、保険(CDS)が機能しなくなれば他の金融機関が債権の評価を強制的に引き下げるを得なくなり、金融システム全体が破綻する可能性が見えた時点で、救済する姿勢に転じる事になった。その一貫性のなさがまた救済されない金融機関がでるかもしれないと市場に不安感を与え、危機を大きくすることになった。
第十四章 歴史の教訓
エピローグ